コンビニと
昔ながらの小さな個人経営のスーパーしかない
この場所で暮らしていると
時々
車で30分ほどかけて街へ買い物に行くのが
ちょっとしたイベントになる。
必要なものを手に入れるためというよりは、広いスーパーの棚を眺める時間が
日常の小さな息抜きになっているのかもしれない。
スーパーのどこか人工的な明るい光
色とりどりのパッケージが並ぶ棚
それら一つ一つがこの静かな田舎にはなくて
ささやかな刺激となって、
なぜだろう?
心の奥でじんわりと充足感が広がっていく。
町内会の清掃

今週は町内会の清掃があった。
朝7時
まだひんやりとした空気の中
各自ほうきを手に
冬の間
道路にたまった砂やゴミを
黙々とはき集めている。
誰かと特別な会話を
交わすわけではないけれど
それぞれの背中が語る
「この町を大切にしたい」という無言の意思表示のようなものが心地よい。
こういう地道な作業が、この町の静かな暮らしを支えているのだなと思う。
作業が終われば
ご褒美にペットボトルのお茶をいただき

「はい!ご苦労様でした~」
というあっさりとした撤収の言葉も、
この共同体ならではの心地よい距離感だろうか。
それが心地よく、「ひと役お役に立てたかな」という静かな気持ちよさで1日を始めることができました。
畑や庭の木の剪定と業者選び

家の敷地内にあるドイツトウヒに藤の木が絡まり
年々大きく育ち、もう手に負えなく困っていた。
電線を越えてしまっているので風が吹いたりすると枝が電線を揺さぶり
台風や強風の時など気をもんでいた
いつか何かあったらどうしよう
電線が切れたりして町内の方に迷惑をかけてしまうのではないかと心配でたまらない。
木が小さいうちに芯止めしておけばよかったのだろうけれど
この家の主たちは誰も心配しなかったのだろうか。
なぜ、嫁の私がこんなに心配しているのに
誰も何も思わないのだろう。
そんな、どこか理不尽な思いが募る。。。
o(* ̄▽ ̄*)o
誰のせいでもないか
ただ時間が流れて抗えないものとして
そこにあるだけ🌳
そんなもやもやを抱えながら日々を過ごしていた。
でも
もう、夫にもまかせられる体調じゃないし
誰もしないのなら
誰に気を使うこともなく私が管理することにしよう。
だって
私は夫の実家に引っ越した
私の家のことなんだから!
そう決意した。
お義父さんが生きていたころは、
よく高齢者事業団の方に頼んだりしていたけれど
でも、高齢者の手におえるような木ではない
いざとなると、どこに頼んでいいかわからない。
田舎のことだから、役場と商工会議所にも相談してみようと
電話を入れてみたが📠
役場からは高齢者事業団を紹介され、
役場も商工会も特定の業者を紹介することはしていないとのことだった。
「そりゃそうだよな」💦と
電話を切って、独りで納得していた。
今までの経験上
これまで住んだところでは
自分で探して
自分で判断し
自分で決めるのが当たり前だった。
田舎だから
そこら辺はネットワークがあって教えてくれるのかと思ったのが間違い。
どこに住んでも同じ
自分で情報を集め、自分で決めるのだ。
そのことに
どこか諦めと同時に
清々しいほどの潔さを感じた。
そうと決まれば、
すぐに自分で探し✨
結局いつも花を買いに行く造園業もしているお店に電話で相談してみた。
市外ではあまり仕事を受けていないようだったが
電話で断られてもしょうがない。
ダメもとで聞くだけ聞いてみました。
この時期は忙しい花屋さんなので
先方様にも「繁忙期に突然なので無理なら諦めます」と伝えていたけれども
午後には見積もり担当の方から電話があり、
次の日には見積もりに来てくれた。
葉が茂りだす前に片付けましょう。
日程調整し決まり次第連絡します。

そして驚くことに10日後には木の剪定をすることができたのだ。
見積もりの時
にこちらの希望を丁寧に聞いてくださり
その誠意のある仕事の向き合い方に
我が家にある木
全てをお任せすることにした。

当日もスムーズに業者の方とコミュニケーションを取りながら進めることができ
気持ちよく作業を終わらせることができたことに感謝の思いでいっぱいだ😂



ずっと気にかけていた木の剪定を無事に終えることができた✨
あの電線を越えていた枝をもう心配する必要はない
ずっと心に引っかかっていた重荷が
すっと消えたような清々しい気持
それは物理的な問題が解決しただけではなく
内面の不安が消化されたような
ささやかな奇跡に思えた。
街への買い出しそして日常の再発見
木の剪定という一つの区切りを終え、
達成感で満ちていました。
さてと!
ちょっと買い物でも行こう!
車で30分かけて街へ向かう道中、窓の外の風景がゆっくりと移り変わっていく。
広がる田んぼの緑が
少しずつ電線や建物に遮られ
やがて街の気配を帯びていく
その移り変わりを見ながら
ふと、剪定した木のこと思い出す。
道中で見かける同じように伸び放題の木を見ると、
この家の人も同じ悩みを抱えているんだな~と自分事のように思っていた。
あの木がどれほどの心配を
私に与えていたか
そしてその心配がなくなった今
この道中の景色も
以前よりずっと明るく穏やかに見える気がした。
街のスーパーに到着し
色とりどりの野菜
遠くで流れる BGM
他の買い物客がそれぞれのカートを押しながら何気ない会話をしている
その1つ1つが
この場所ならではの豊かさであり
私にとっての小さな息抜きになる
買い物を終え
再び田舎の家路に着く。
車窓から見える景色がいつになく綺麗
家に着き
すっきりと整備された庭や畑を眺めながら
玄関のドアを開けた時の安堵感にひたる。
自分の行動がこの暮らしを
より心地よいものにしたという静かな達成感をかみしめる
街の賑やかさや
便利さを経験したからこそ
改めて
田舎の静けさや
地道な営みの価値を再認識する
そして
気がかりだったことを
自らの手で解決したことで
この田舎の暮らしを以前よりも好きになった気がした。
それは単なる慣れや諦めではない。
自らの選択と行動によって、
この場所が持つ不便さも含めて受け入れ肯定する静かな自信のようなものだった。

いっけん、田舎暮らしの平凡に見える毎日も
実はささやかな奇跡に満ちて輝いている